鎌倉街道上道、用土駅から武蔵嵐山駅まで歩く

J号線をR八高線の用土駅から東武武蔵嵐山駅まで、

2021年1月2日と2021年1月10日の二日間に分けて

鎌倉街道上道を歩いてきた。

 

1月2日、JR東日本で土日祝祭日に売っている休日おでかけパスを利用して、

戸塚駅を5時台の電車で出発。

 

熊谷駅でJR高崎線を下車。

 

今回のスタート地点のJR八高線の用土駅へは

熊谷から秩父鉄道を利用した方が早く着く。

 

熊谷から秩父鉄道に乗り換えて寄居まで行き、

寄居からはJR八高線で用土駅まで行くことに決めた。

秩父鉄道は初めて乗る。

結構乗客は多かった。

平日は高校生や通勤の人なんかも結構な人数が乗車していそうな気がする。

 

JR八高線の用土駅、無人駅なので左側の建物は駅舎じゃなくて待合室、

改札も待合室も建て替えたばかりのようで新しい。

 

用土駅から100mほど南の県道175号線が鎌倉街道上道の

道筋となっているらしい。

175号線に出てすぐの「鎌倉街道」という名前の踏切を渡る。

冬の太陽は低くて行く方向が東なのでこの辺ではすごくまぶしかったのを思い出す。

踏切から500mほど進んだところで深谷市に入る。

鎌倉街道はもう少し県道175号線を進むらしい。

 

県道175号線「原宿」という交差点の手前、

道路案内標示手前左側に鎌倉街道の案内板があった。

鎌倉街道の道筋を示す案内板はここ以外見た覚えがない、

珍しいと思う。

 

鎌倉街道の案内板のすぐ先に道路案内表示がある。

この先県道175号線は左にカーブしているが、

鎌倉街道は直進している細い道を行くようだ。

県道は何かの事情で左に曲がっているのだと思う。

鎌倉街道はこの先の荒川までほぼまっすぐ通っている。

 

県道175号線から分かれて600mくらい先、

先ほど熊谷駅から寄居駅まで乗った秩父鉄道の踏切を渡る。

 

踏切から先県道296号線(秩父往還)を超えると荒川の土手に出る。

土手に「お茶々の井戸」という井戸がある。

この井戸は、鎌倉時代、荒川をこれから渡る人や渡ってきた人が

休んだ茶屋にあった井戸で、この茶屋の看板娘が「茶々」という名だったそうだ。

街道はここで荒川を渡っているわけではなく、

荒川沿いの土手上の細い道を下流に向かって1Km行ったあたりで渡っていたようだ。

 

荒川の土手沿いにあった庚申塔などの石塔群。

 

土手沿いの道を1KMほど進んだところで、

荒川を渡る大きな橋に出た。

県道296号線の花園橋という橋。

鎌倉街道はこの国道も突っ切って、

この先も荒川の土手を進んだらしいが、

当然今はこの橋を渡らなければ川を越えられないので渡る。

 

鎌倉街道はこの橋から下流200から300mほど先で

荒川を渡っていたらしい。

 

対岸の道を下流に向かって歩き「寄居町汚泥再生処理センター」を超え

坂を上り切ったところに「史跡 鎌倉街道」と書かれたポールが道路の西側に立っている。

街道筋を表すと思われる矢印も見える。

 

 

矢印が示す方角がこちらの道。

この先は多分普段車もあまり通らないような道。

道の左手はアイリスオーヤマの工場。

 

先ほどの道から県道81号線を超え、普光寺というお寺の近くを通り

吉野川という小河川を渡り塚田三島神社の付近。ここを右折するのが街道筋のようだ。

 

先ほどの塚田三島神社の付近から600mくらいだろうか

進んだところ、右のお堂は薬師堂。

前の道路は県道296号線、私が進んだ道は

県道ではなく薬師堂から南に進む細い道を通った。

 

薬師堂から進むと間もなく左側に送電線の鉄塔が角にある交差点に出る、

そこを左折した。

700mくらいだろうか進んだ先にあった兒玉神社。

村社と彫られた石塔が立っている。

埼玉には児玉郡や児玉町があったのは知っていたので

調べてみたら児玉郡も旧児玉町も荒川の北部に位置していた。

なぜこの土地で兒玉神社という名称なのか?少し謎。

 

この日は以前買って履いてなかった五本指の靴下を履いてきた、

足が幅広なので最近は3Eや4Eの靴を選んで履いている。

この日履いていたウオーキングシューズは3.5E。

靴下の指の一本ずつの布が指を圧迫していたようで

兒玉神社あたりからかなり足が痛くなってきた、

兒玉神社から少し先の県道296号線のコンビニのベンチで

20分ぐらい靴を脱いで休んでいた。

この辺りは駅も遠いし、どこかの駅まで行けるバスも無いようだ。

バス停があるところまで歩いていくしか無いようだ。

後日両足の小指が黒く内出血をした。

四ツ山城跡の案内看板。

興味があり見てみたいがこの足じゃ無理。

 

バス停を目指して県道296号線を進む。

 

今日の街道歩きは県道296号線と県道11号線の奈良梨の交差点で終了とする。

運悪く少し前にバスは行ってしまったようだ。

八和田学校前のバス停からタクシーで小川町駅まで行く。 

 

八高線で高崎まで戻る。

高崎線の上りホーム内の立ち食いそば店。

 

舞茸天ぷらそば?だったと思う。

 


1月10日、この日は2日の続きの奈良梨の交差点から武蔵嵐山駅付近まで歩いた。

東急東横線-副都心線-東武東上線で志木駅からは小川町行きに乗り換えた。

最近の首都圏はJR、私鉄、地下鉄各路線の相互乗り入れが増えて便利になった。

乗り換えなしでここまで来られるようになったが、

その分コロナのような感染症が一都三県瞬く間に広がる。

 

小川町駅から奈良梨の交差点のを通るバスの時刻をあらかじめ

調べておいたのでその時間に合わせた電車を利用している。

 

先日街道歩きを終わらせた奈良梨の交差点。

ここから武蔵嵐山駅付近まで歩く。

 

鎌倉街道の奈良梨の交差点から嵐山方面は、

道筋がわかりずらい。

結局、交差点から県道296号線を700mくらい進んだところで

新川という小川の100m手前の砂利道を右折。

「八和田土地改良記念」の碑があるところに出てきた。

 

この碑から田んぼの中を南にまっすぐ伸びている道が

街道筋らしい、後から分かったことだが、通ってきた道は街道からそれていたらしい。

 

田んぼの中の道を進み、坂を上り切った丁字路を左折、その先すぐを右折。

右折してすぐのところにある石仏。

先ほどの石仏から100mくらいで左折、その先すぐに右折、そこから

200mくらい先善行寺の案内の木杭のところを左折。

 

木杭のところから先、県道をトンネルでくぐり抜けたところを右折すると

善行寺の山門に出る。

山門の中、茅の輪くぐりのような茅で編まれた輪っかが見える。

Web検索によれば茅の輪くぐりはもとは神道の厄払いの行事らしい。

街道は山門を右手に見て進み、すぐ左に曲がる。

その先、一つ目の十字路は直進、用水路を超え、丁字路を右折、

小川を超えて次の丁字路を右折、先の坂道を登りきったところに造成されたであろう

住宅地が現れる。

このあたりの街道筋もわかりずらい、歩いた道は、坂を上り切った街路樹がある道路を

進んで、県道296号線を嵐山方面に歩いた。

 

県道296号線から400mほど先、サイクルショップを超えてすぐを右折、

その先のY字路を左に進み、すぐに左折する。

500mほどで丁字路に出る、そこを右折そしてすぐに左折。

その先変則の十字路の真ん中の道を進むと

写真の志賀小学校の西側の道にでる、ここを右折してすぐ東武東上線の

線路を陸橋で超える。

 

 

線路を陸橋で超えたらすぐ左折、消防署の先の丁字路を右折、

ドラッグストアを超えたところを左折、突き当りまで進みそこを右折、

また突き当りを左折してすぐに右折、歩道橋を超えたところに

斜め左に入る道を進む。

その先Y字路を左、その先丁字路を右に行きすぐにまた右に進む。

右手に見える菅谷神社を超えまっすぐ進むと菅谷中学校に出る。

写真はそこから30mほど駅側に行った荒井文具店角から中学校方面を撮ったもの。

 

中学校手前の小学校の向かい側に墓地があり、

荒井文具店の交差点を中学校と逆側に曲がった墓地の一角に

板碑がある。

中学校の前の道に戻り

中学校から武蔵嵐山駅まで直線距離で700mくらい。

今日の街道歩きはおしまい。

武蔵嵐山駅から帰宅する。