西国分寺から永山駅まで歩く(鎌倉旧街道 上道)

中央線・武蔵野線の西国分寺駅
から京王線・小田急線の永山駅近くまで
鎌倉街道(上道)現在の道路を
出来るだけをトレースするように歩いてきました。

西国分寺駅から現在の府中街道を
南に数百メートル進んだら左折して
また数百メートル進んだ先に
現在の国分寺があります。

現在の国分寺は、
武蔵国国分寺跡の北方建物群が
あった位置にあたるようです。

写真は現在の国分寺仁王門。

 

現在の国分寺の薬師堂。

 

国分寺の南側の武蔵国国分寺跡。

 

中門、金堂間のドウカン遺跡
(旗状の飾りを建てていた場所のようです)

 

金堂があった位置の基壇跡の外周を
ブロックで囲う工事中でした。

 

金堂の北側、講堂跡。

 

講堂跡にネコがたくさんいました。

 

講堂跡の東側にある、鐘楼跡。

 

国分寺跡、金堂跡の南の道を西側に進み

府中街道を越えて、武蔵野線の線路の下をくぐると

国分尼寺跡があります。

 

金堂跡と金堂前にあったドウカン跡。

 

鎌倉街道は
国分尼寺跡付近を南北に通っていたらしい、
国分尼寺跡から武蔵野線の西側の道を進んだ、
まもなくすると東芝の府中事業所があります。

このあたりの鎌倉街道は2ルートあったように
『鎌倉街道 夢紀行』テレビ埼玉編には記載されています。
そのうちの一つは東芝の府中事業所内を通っていたようです。

もう一方は現在の府中街道の道筋と重なっています。
東芝の府中事業所の北側の道を東に進んだ
「刑務所角」という名の府中街道との交差点、
この交差点から東側を「学園通り」というらしい、
この交差点から東側の府中刑務所の塀沿いが
3億円事件の現場ではないかと思います?。

 

この交差点から府中街道を現在の
甲州街道(R20号線)付近まで進みます。

北府中駅、府中市民球場も越え
R20号線に出る二つ手前を右折するのが
鎌倉街道のようです。
この部分を右折。

 

道は右折してすぐに左の折れて、
R20号も越えてしばらくは直進。

写真はR20号線の先に伸びている鎌倉街道。

 

R20号から3,400m進むと
鎌倉街道は旧甲州街道(現:都道229号線)に当たります。

 

旧甲州街道からの鎌倉街道の数百メーターを「鹿島坂」という。
鎌倉街道はここからしばらく遊歩道となっています。

 

鎌倉街道は
南武線を越える陸橋から150mほど先の
都道18号線の信号がある「三小前」を南に
進まなければいけなかったようですが、
わからずに遊歩道をまっすぐ進んでしまい、
中央高速の側道に出たところで
街道をそれていることがわかり、
高速の側道を西に進む。
「本町西」の交差点で
中央高速の陸橋下をくぐり、
斜め右に進む道が街道のようです。

この道は「下河原通り」というらしい。

 

下河原通りを1kmくらいまっすぐ進むと、
「南町交番前」の交差点に出ます。

 

鎌倉街道はこの先で多摩川を渡っていたようですが、
現在は都営団地が出来ていて、
道もなくなっています。
この交差点を右折して
新府中街道に出て関戸橋を渡る。

関戸橋を渡り350m先で「川崎街道」との
新栗橋交差点に出ます。
この交差点から斜めに進む道が
鎌倉街道。

 

大栗川を渡り100mほど先の道の右側に
関戸古戦場跡と書かれたポールとお地蔵さんが安置されていた。

 

道が緩い上り坂になっている、
坂の途中、道の左側には石の常夜灯などもある。

 

道の左側には熊野神社と「霞ノ関南木戸柵」跡の石碑。

 

坂を登り切った道の右側に、
多摩市役所。

 

多摩市役所から550mほど進むと
「乞田」交差点に出る、ここの交差点を
左斜めに進む。

この先「多摩ニュータウン通り」までが、
今日の目的地。

京王永山駅。

小田急線で帰る。